退職して早いもので、今年で20年目を迎えています。当初は毎日が日曜日で戸惑いながらも地区のシルバー人材センターに登録して、アルバイトの雑用をこなしていましたが、一年も続きませんでした。県主催のシルバーカレッジ教室、地区主催の文化教室の陶芸、男の料理教室、英会話、社交ダンス等々、いろいろ手を伸ばしましたが、現在まで継続しているのは社交ダンスで、地区のダンスクラブに入会し週2回のレッスンと月1回のパーティ、ボケ防止も兼ねて続けています。それ以外ではハウスOB会のカラオケ部会に参加して15年ほどになります。最近は欠席がちですがほろ酔い気分で好きな裕次郎の唄を音痴ながら口ずさんでいます。
① ジョギング
② エクササイズクラブ通い
① 社交ダンス
② 歌声クラブ
③ ボランティア10年
学生時代は、ワンダーフォーゲル部に所属し山野を駆け巡っていたが、サラリーマン生活に入ってからは運動とは無縁に過ごしていました。
30歳代に入って市街地から山村の川沿いに転宅して以来、出社前に軽くランニングをするようになった。その習慣が退社後もいまだに続いています。ランニングに取り込み始めたのは53歳の時で、体力の衰えを感じ、転宅した近辺にあるフィットネスクラブに通い始めました。会社の仕事もラインを外れ一人専属の職務を担当する事になった時期とも重なっています。ジムに通いだし体重も何キロか落とし、初めてフルマラソンに挑戦完走。同年に町内のランナーズクラブに入会し刺激を受けて、あちこちの大会に参加するようになりました。クラブの記念誌に寄稿した入会後12年間の走行記録をまとめたものに、それ以降の記録を継ぎ足しますと、別表の通りになっています。65歳の時に大病を患いマラソン大会も控えるようになり、現在に至っていますが、今、生涯目標としているのが、走行距離10万キロで、長年の無理な走法から骨盤の歪みから膝にきて、思うように走れなくなり、平成23年のレースを最後に大会参加が途絶え、早朝のリハビリを兼ねたモーニングジョギングが主体になりましたが、復活してマラソン大会出場を夢見ています。走行距離10万キロの目標は平成29年末で83,000キロ、残り17,000キロを5年後の達成を目標にしています。
私の走りの記録
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