それは四国歩き遍路
退職後1年位前の頃だっただろうか。
ロッテの大投手まさかり投法の村田兆治が88番札所でポロポロと涙を流すシーンを見た。
そんなに感動出来るものがあるのかなと驚いたし、38年間のサラーマン垢を落とそうと退職した年の4月20日に徳島空港に降り立った。
1番札所の霊山寺へ向かうタクシーの中、白装束に抵抗を感じていたが運転手さんから、四国では正装ですと言われてふっきれた。
お遍路セットを購入し白装束に菅笠を被ってスタートした。
お遍路では大抵の人が同行二人と書いた金剛杖を持って弘法大師と一緒に歩くのだ。だが私のような宗教心の薄いものには必要ないと、男と一緒に歩くなんて考えられない。代わりに登山用ストックを持って歩いた。
1日平均40Km歩く。雨の日も照り返しが強い日も、約束した民宿までは歩き通した。これは仕事と一緒、自分の決めたことは結果どうであれやり抜くのだ。歩いて5日目、歩き遍路の勲章、足指に豆が出来た。
ゴールデンウィークに入ると民宿はサーファー族に押さえられて足摺岬へ向かうときは50Kmも歩く羽目になった事もあった。
88番札所の大窪寺に立ったのは31日目だった。1200Km歩いての結願、しかし何の感動もなかった。
そこには真っ黒に日焼けした自分が居ただけだった。お遍路から戻ると土踏まずの中に固いシコリがあって完治するのに2年を要した。でも治るとまた歩きたくなる。
2回目は88番札所の香川県から逆打ちを始めた。だが、さほど練習もしなかったので下り坂でスネを痛めて歩けなくなり、香川県最後の66番札所雲辺寺で挫折した。
翌年は愛媛県、翌翌年は高知県の区切り打ちとなった、高知県から徳島県に入るときにプロ野球選手の清原とニアミスした事がある。前から歩いて来た順打ちの若者が先ほどまで一緒にあるいていたと・・。
彼は足が遅く1日20Km位しか歩けない。しかもザックも背負わず、後には黒塗りの大きな車が待機していたようだ。
パフォーマンスでお遍路する奴は嫌いだ。一言文句を言いたかったなぁー。
68歳の時に3回目のお遍路に出た。
毎日が充実して楽しかった。OB会の総会に欠席届け出していて仲間から叱られたけど、36日で結願した。
70歳になり4回目のお遍路に出発した。
2年前の自分とどう体力が違うか勝負した。4日目までは、キツかったけど、後は同じ距離を歩き続けた。
愛媛県の難所60番札所横峰寺に着くと満開のシャクナゲが待っててくれた。この美しいシャクナゲ寺を見たくて歩いたたと言っても過言ではない。
香川県に入り、あと5日で結願出来たが、OB会の総会があり同期の仲間から今度欠席したら除名すると言われたので、やむなく帰った。
残りは今年歩こうと思ったが、手足の湿疹が治らないので無理だった。でもまた歩ける日が来ると信じている。なんたって、1日1万円の贅沢な旅だからね。
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